獣の話

美しい文章と、不思議でどこか心地よく、時に恐ろしい世界観に引き込まれます。

「獣の話」

 その骨董店は奇妙な店だった。
 路地裏のおよそ人気のない場所にひっそりと佇むようにして店を開いていて、看板を出すわけでもなく、店の名前を紙に墨で書き殴った貼り紙がなければ、およそなんの店か分からない。

 店内は薄暗く、土の冷たい香りで居心地が悪かった。およそよく判らぬものが乱雑に並び、それらには値札もついていない。 果たして本当に売るつもりがあったのか。
 ともかく奇妙な店だった。

 学生時代、偶然雨宿りに入った私は、その店で気味の悪い木の面を預かることになった。
 購入したのではない。店主から預かったのだ。
 店内を見回っていた私を見つけ、店主は私にその話を持ちかけた。
『なにか気になる物があるのかな』
 私は桐の箱に入った木の面に何故か視線がいった。私は芸能に興味を抱いたこともないというのに。能面なんて生まれて初めて目にしたのだ。
『なにか縁があるのかも知れない』
 店主はそういうと、頼みがある、と言いだした。これもなにかの縁だから、と。
『十年後、君の所に私の知人がその面を受け取りに来る。その間、君はなにもせずにただ保管してくれればいい』
 無論ただでとは言わない、と店主はつけ加えた。
 私は店主から持ちかけられた話に頷き、その謝礼としてそれなりの額の金銭を手に入れた。十年間、桐の箱に納めておけばいい。ただそれだけの話だった。
 私は金銭を手に入れ、その面を箱ごと預かった。家に持ち帰ってからというもの、一度も蓋を開けたことはない。私は死後の世界や霊魂などの存在は信じていないが、それでもあの木の面が入った箱を開けるのは躊躇われた。
 店の名前はたしか『夜行堂』といった。
 今の今まで忘れていた。
 そう。あの女が訪ねてくるまでは。


   ○
 一人暮らしをしている私の家に訊ねてきた女は、自らを尾先と名乗った。
 着物を着た若い女で、俗な言い方をすれば美人といってよかった。眼元に黒子があり、憂いを帯びた表情が印象的な女だ。
「夜行堂の主人から御預かりになっている品を受け取りに参りました」
 仕事を終えて帰宅した私が、鍵を開けようとしている時だった。
 夜行堂、と言われても最初は心当たりが見つからなかったが、木の面の話が出てきてようやく、あの日の約束を思い出した。しかし、女の素情も判らないのに渡す訳にもいかず、とりあえず部屋へ上げて話を聞くことにした。
「上がっても宜しいでしょうか」
 女はそう言って扉の前で立ち止まり、そう聞いてきた。
 どうぞ、というと、女はようやく部屋へと上がった。
「汚い所ですいません」
 私は散らかった部屋を適当に片付けながら言った。
「こちらこそ夜分に失礼致します」
「尾先さんと仰いましたが、夜行堂の御主人から何か証のようなものを預かっていらっしゃいませんか? 私も確かめもせずに渡すというわけにはいきませんので」
「夜行堂の主人はもう亡くなりました。一月ほど前です」
 女の表情に変化はないものの、その声はどこか暗いように感じられた。
 この時、私は亡くなったという店主の顔を思い出そうとしたが、まるで思い浮かべることができなかった。それどころか、店主が男だったのか、女だったのかも覚えていない。これはどういうことだろうか。
「そうですか。それは御愁傷様でした」
「証になるようなものはございません。ですが、私がこうして此処へ伺うことが出来たのが何よりの証ではありませんか?」
「そうですね。いえ、もしもそうしたものがあればと思っただけです。少々お待ち下さい」
 私は襖の天戸から桐の箱を取り出し、彼女の前に持って来た。箱には赤い結い紐で封がされていて、これを解いたことは一度もなかった。 「念の為、中身を確認させて頂いても宜しいでしょうか」
 私はどうぞ、とだけ告げて彼女が紐を解くのを見ていた。
 女は丁寧に結び目を解き、紐を脇へどけると、恭しい手つきで箱の蓋を持ちあげた。そうして、息を呑んだ。
「これは、どういうことでしょうか」
 女の強張った声に釣られて桐箱の中を覗くと、どういうわけか、あの木の面は消えてなくなっていた。
「そんな馬鹿な」
「中身は何処へ?」
「いや、私にもなにがなんだか。これを預かってから一度も中身を見たことがないのです。蓋を開けたこともありません」
 女はまだ何か言いたげではあったが、取り乱す様子もなく、淡々と私に言った。
「事情が変わりました。今日はお暇させて頂きます」
「わかりました。中身は必ず探しておきます。申し訳ない」
 女は立ちあがって頭を下げた。
「ご迷惑をおかけ致します。時期がくれば、またお伺いさせて頂きます」
「いえ、ご迷惑をかけているのはこちらですから」
 女は去り際、奇妙なことを言い残していった。
「奇妙なものを視るかも知れませんが、くれぐれも御気になさらぬよう」
 女の言葉を、私はすぐに思い知ることとなった。


   ○
 家の中に何かがいる。
 あの夜以来、家の中に自分以外の何かがいることに気がついた。
 それは何か、としか言いようがないものだった。
 本棚の影、ベッドの下、ほんの少し開いた襖の闇。そうした何気ない場所にそれは蹲り、或いは伏せるようにして在った。
 しかし、不思議とそれについて私は気味が悪いとは思わなかった。不思議だな、と思いはしたが、恐ろしいとは感じないのだ。
 休日になると私は家中を探し回ったが、どれだけ懸命に探し回ってもあの木の面は見つからなかった。その捜索の中でも、何かは私を静かに視ていたようだったが、決して視界の中には現れようとはしなかった。いつも視界の片隅、見えるかどうかの境界にそれはいた。
 人間ではない、と思うのだが、では何かと訊かれると判らない。
 しかし、それと共に暮らす内に、それこそがあの面自身なのではないかと思うようになった。
 そんなある日、友人が家へやってきた。その友人は昔から霊感のようなものがあり、よく奇妙なものが視えると言っていた。こういうと語弊があるかも知れないが、どこか薄気味悪い雰囲気のある男だった。
 そして案の定、友人にはそれが視えた。
「あんなものをよくも拾って来たものだね」
 視えるのか、と訊くと、視えるさ、と可笑しそうに微笑う。
「少し奇妙なことに巻き込まれたらしい。できれば力を貸してくれ」
「君は学生の頃から危なっかしい所があったからな。よし、僕に出来ることなら手伝おう」
 私は友人にこれまでの経緯を話した。途中、何度か質問を受けたが、その内容は私にはよく意味の判らないものだった。
「能面を預かりに来た女性は尾先と名乗ったのかい」
「ははあ。成程。美人だったろう」
「たしかに美人だったな。着物の似合う美しい人だった。もしかして知り合いか?」
「いや、知り合いではないよ。会ったこともない。でも、そうか。それならおおよその話は視えてきた」
「意味が判らない。説明してくれ」
「説明は最後にするよ。あと一つ教えて欲しい。君は預かった面がなんの面だったか覚えているかい?」
 そう問われて、私は自分が能面の形をすっかり覚えていないことに気がついた。能に関する知識は少ないが、翁か女面かぐらいは判別がつくだろう。だが、まったく思い出せない。
「いや。奇妙な面だな、と感想を抱いたのは覚えているんだが。詳しい形は覚えていない。おかしいな」
「成程。そういうことか。ありがとう」
 友人は一人で納得しているようだが、私にはまるで理解できない。いったい何が視えているのか。
「今夜あたりがいいだろうね」
「なにがいいんだ?」
「能面を見つけるんだよ」
「何処にあるのか見当がついたのか」
 友人は答えず、外へ出ようと言いだした。問い質したいことは幾らでもあったが、私は黙って友人の後に続いて家を出た。
 家の前には小道を挟んで竹林があり、風に揺られて轟々と啼いていた。時刻は黄昏、群青の空の下、薄暗い竹林の中へと友人は真っ直ぐに入っていく。私はこんな不気味な場所になど足を踏み入れたくはなかったが、仕方なく後に続いて竹林に入った。
 竹林の枝葉の隙間から月の薄明かりが差す中、私たちは黙々と歩き続けた。途中、何度かどこまで行くんだ、と問うても、いいからついて来い、とにべもなかった。しかし、いい加減に私も限界だった。恐ろしくなったのだ。
「おい。どこまでいくんだ。いい加減にしてくれよ」
「もうこの辺りで良いだろう」
 竹林がほんの少し開けた場所まで来ると、ようやく友人は歩みを止めた。夕暮れの陽も届かない竹林の中は暗く、そして背筋が震えるほど寒かった。
「振り返ってごらん」
 私が振り向くと、そこには一匹の白い狐がこちらを視ていた。
 唖然とする私を余所に、白狐はこちらへと近づいてきて、私の足元でその姿を歪めた。溶けた、と表現した方が正しいかも知れない。
 足元に転がったもの。それを手にした瞬間、ようやく思い出した。あの店主から預かったのはこれだった。この狐を模した面だったのだ。
 手に取ると仄かに温かく、つい先ほどまで誰かが身につけていたようだった。
 いったい何が起きたのか。
「ありがとうございます」
 女の声のした方へ振り向くと、いつの間に現れたのか。あの尾先と名乗った女が立っていた。
「ようやく見つけることが出来ました。あの男に封じられ、一時はどうなることかと案じましたが、人に心を奪われていようとは。縁とは奇なるものです」
 女はそういうと私の手の中からそっと狐の面を受け取った。そうして妖しげに微笑し、その美しい顔立ちを隠すように面を被った。
「また時が来れば御礼に伺いましょう。それでは」
 そうして竹林の闇へと静かに消えていった。
 私は狐に化かされたような気持ちで、ただ茫然と立ち尽くすしかなかった。友人は、そんな私の様子を視てくすくすと微笑った。


   ○
「あの女性は狐の化身だよ。妖魔、妖、化け物、怪異、呼び方は色々あるだろうけれど、あの女性もあの狐の面も同じものだよ。人の世界のものじゃあない」
 友人は私の部屋で酒を呑みながら説明を続けた。そのまま帰ろうとする友人を私が引き留めたのだ。あんなことのあった後で、一人で部屋に戻れる筈がない。
「この部屋にいたのは小さな狐の怪異だった。おまけにあれは君を好いていた。あれは君を守護していたのさ。どういう理由があるのか知らないけれど、あのお面に封印されていたらしい」
「いくら探しても見つからない筈だ。あの美しい女性も狐なのか」
「そうだよ。古今東西、狐は美男美女に化けるという。あの面に封じられた妖狐の一族なのだろうね。あの女性の名前を覚えているかい?」
「ああ、尾先とかいったな」
「おそらくは尾裂だよ。尾が裂けている。尾の裂けた化け狐というわけだ」
 私は眼を白黒させる他なかった。
「なんと、そういうことだったか」
 私は話を聞きながら、怖いやら意味が判らぬやらで、誤魔化すしかないと思って酒を煽ったが、さっきから一向に酔えない。私は妖狐と同棲していたのだ。そう思うとなんとも不思議な気持ちになる。
「竹林に行ったのはどういうわけだ」
「君を好いているから、きっと憑いてくると思ったのさ。ああいう場所だと邪魔が入らないし、あの時間帯なら君のような人にでも怪異が視えやすくなるんだよ。ようく視えただろう?」
 そういってくすくすと微笑う。この友人もまさか狐ではあるまいな、そう一瞬思ったが、すぐにそんな考えを振り払った。そんなことは考えても無駄だ。
「つまり、俺は取り憑かれていたというのだな」
「違う。守護されていたのさ。御利益があったと思うけれど、何か心当たりはないかい?」
「わからん。確かに運がいいなと周囲に言われることはあったが」
「よかったじゃないか。狐は神の使いだよ」
「お稲荷様というわけか。しかし、そういうことなら今後は不運に見舞われるのだろうな」
「いや、そうはならないと思うよ」
「どうしてだ。俺は加護を失ったのだろう」
 友人は意地悪そうに笑った。
「なに。すぐに判るさ」
「どういうことだ」
「持ち主が道具を選ぶのじゃない。道具が持ち主を選ぶのさ」
 なんだかどこかで聞いたような言葉に、私は首を傾げるばかりだ。
「意味が判らん」
「そのうち判るさ。動物は恩義に篤いから」

 数日後、隣に引っ越してきたという人が律儀に挨拶にやってきた。
「隣に引っ越して参りました。尾先と申します」
 それは、とても美しい姉妹だった。
                            獣の話―完
嗣人
福岡県在住。民話蒐集家としての一面も持つ。怖話にて活躍中。
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闇小噺
ツイッター上で超短編創作怪談を呟き、ちょっと怖い雑な画像も作成するしがないグラフィックデザイナー。
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